『自主管理とは何か?』
この記事はイボン・ブールデとアラン・ギレルムの著書『自主管理とは何か?』を読み進めていき労働者自主管理についてまとめた記事になります。
まずこの本の簡単な説明から。
【本の説明】
『自主管理とは何か?』
作者 イボン・ブールデ、アラン・ギレルム
訳 海原峻 宇佐美玲里
出版社 五月社
出版年1979年
次に本書の内容に移りましょう。
何をもって自主管理とするのか。
これは識者によって見解が様々にわかれるようです。
そこで本書では自主管理と思われるいくつかのモデルを比較して具体から抽象へ、実際のモデルから自主管理の定義へ導く流れに移行しています。
【A 参加、共同管理、労働者統制、協同組合】
1 参加
「参加するというのは自主管理することではない。参加するというのは既に存在し、独自の構造と究極性を持っている活動に加わることを許されるというにすぎない。」p22
ここでの参加という言葉の意味は二つに分けて説明されています。
一つ目は労働への参加、
もう一つは利潤への参加です。
まずは労働参加からいきましょう!
〈労働への参加〉
一つ目の労働への参加では労働者と経営者の関係性をオーケストラに例えて説明しています。
オーケストラをまとめるのは指揮者(経営者)で各パートを実際に演奏するのは実行者(労働者)です」。
オーケストラの中で例えばフルートが自分の演奏するパートにいくらかのイニシアチブ(主導権)を得ることはできてもそれは譜面という定められたルールの中でしか主導的に演奏することはできません。
だから演奏者がいくらかのイニシアチブを持ちながら労働をするのと同様に特殊技能が必要な労働者ー例えば医者や技師、弁護士、システムエンジニア、開発者などーには一定のルールの中での主導権が発揮されます!
ちなみにこのような労働者は熟練労働者としてマルクスの書物には登場しますよ( ´_ゝ`)
ではこれに対して単能工はイニシアチブを発揮することはできるのでしょうか?
答えは“できない”です。
なぜならごく単純な労働なので機械と同じ反復作業ですから、そこに労働者の作為工夫を込めることができないからです。
単能工(一般労働者)は資本家の計画を実現するための手段にすぎないんですねぇ。
次に利潤への参加について見ていきましょう!
〈利潤への参加〉
利潤への参加とはどんな意味でしょうか。
利潤とはつまり報酬、企業の利益のことを言うと説明されています。
利潤への参加の意味は企業の利益の分配に参加できることを言うんですね。
しかし、ここで疑問に思う人もいるかもしれません。
「そもそも私たち労働者って利潤に参加してんじゃん。だって企業から賃金をもらってるでしょ。それは利潤への参加ではないの?」
答えは×です。
我々労働者は利潤への参加をしていません。
なぜなら利潤(企業の利益)は原材料費や法人税、減価償却費etc..そして君の考える労働賃金を差し引いて出た余剰分のことだからです。
これは初歩的なマクロ経済学でも習うことだと思います。
利潤への参加の意味を理解したところで内容にうつりましょう。
本書ではフランスでの事例を参考に利潤への参加について述べられています。
どうやらフランスでは企業の株を労働者に分配するということが行われたようです。
企業の株を労働者に分配するのだから企業の利益が出たときに労働者はその利潤を獲得することができます。つまり利潤の参加ですね。
では大きなテーマである自主管理とは何か?に照らしてみるとこの利潤の参加は果たして労働者自主管理として当てはまるのでしょうか?
本書では当てはまらないと結論しています。
「株は労働者を彼らの企業に《結びつける》役目を持っている。しかも二重の形でそうなっているのである。第一に、労働者の忠誠と忍耐に報いるという形で。第二に、自分の企業の経営がうまくゆき、利益を生み、そうして自分の行動の価値が増すことを願うような状況に労働者を置くという形で。こうして、《利潤参加》は労働者階級を資本主義体制に統合する役目を果たしている。」(p25)
「《利潤参加》方式は《自主管理に向けての一歩》であるどころか搾取と自己疎外の現状を巧妙な形でさらに悪化させることになる。」(p26)
【まとめ】
今回は参加は自主管理に当てはまるのか『自主管理とは何か?』を聖書に見ていきました。
本書の説明のポイントは二つ。
①参加には労働への参加と利潤への参加がある。
②しかし結局労働者が労働へ参加したり、株を持つだけでは、労働者の権利は蔑ろにされる。
次回は共同管理について見ていきます!