社会の夜電

資本主義社会の問題をないがしろにすることを辞めねばならんと思って今日もブログを書きます。格差はあってもいいかもしれません。でもそれは万人が健康的で文化的な最低限度の生活を送れてから初めて行われることだ!

『イデオロギーの終焉』から再分配における対立に向かった現代。我々が目指すべき社会のあり方は何か。

イデオロギーの対立は現代では極端に縮小傾向にある。現在中核派が少しだけ盛り上がりを見せているが、それも本当に微弱なもので、社会全体から見れば、未だに共産主義革命を志向している人間はほとんどいないかに見える。

共産主義批判』という本だったか忘れたが、慶應の教授が書いた本には次のようなことが述べられている。共産主義革命は戦争なくして起こらないと。

マルクスは資本主義が高度に発展した社会で階級対立が起こりそれによる革命を予言したが、現実は異なる。共産主義革命は戦争によって起こることをこの教授が明文化した。

では現代の日本に焦点を当ててみよう。

現代では再分配の対立が起こっている。

新自由主義系の政治家と福祉政策重視の政治家の対立だ。いわばパイの配分をどうするかを決めるところに場が移ったのだ。

しかしその対立も限界をを迎えている。

その原因は移民の問題。

移民の流入によってこれまでの社会システムが機能しなくなり、また極右勢力がじわじわと台頭してきている。

しかし歴史を見ればわかるようにそうしたナショナリズムは悲惨な結果を招いた。

ではナショナリズムに偏らず、幸せに生きるために我々はどのようにこれからの社会を想像していけばよいのだろうか。

グローバル化に潜む矛盾がある。

グローバル化で異文化交流と理解が生まれたが

同時に文明の対立が起こる。ナショナリズムも起こる。

これは反作用的なものか?それともグローバル化の帰結としてあるものか?それともこの反作用的な面と帰結的な面の両方を同時に持っているのかもしれない。

 

グローバル化は本当に行うべきか?幸せをもたらすのか?を考えるときに、政治的なグローバル化、経済的なグローバル化、文化的なグローバル化、生活に根ざすグローバル化のやうにグローバル化を分けて考え、それぞれを別々に評価と検討を加えるべきではないか?

グローバル化によって生じる格差の問題は?

民主的なプロセスでは国家社会主義、暴力的手段(テロや戦争)では社会主義が実現できる。

大衆は無知である。

丸山眞男も「政治的無関心」の中で言うように、大衆は抑圧されればされるほど保守に流れる。

一億総中流から格差社会に移行している現在で、その流れは顕著になってきている。

 

真の幸福社会を実現するためには、国家社会主義しかありえない。

 

ユーロコミュニズム

特徴

高度資本主義国に起こる

②議会制複数政党制の尊重

③社会資源の平和移行

④多数中心主義(ソ連と対立するもの) 

 

アフガニスタン侵攻

日共 ✖️→日ソ共産党会談1979年12月17日の共同声明の内容(反革命の輸出に反対するとともに革命の輸出にも反対する)を破ったから

 

 

 

怠業権

私たちには怠ける権利がある。

産業革命いやそれ以前の時代から私たち労働者そして農民は国や企業から収奪や搾取を受けてきた。

そうした境遇に置かれている労働者たちの怠ける権利が確保されるのは当然である。

なぜなら企業や国は我々労働者から正当な賃金正当な労働力によって生まれる対価を与えることなく彼ら自身の利益のために収奪と搾取を繰り返しているからである。

資本主義を破壊せよ

現代の資本主義は様々な欠陥を有している。

格差、貧困、戦争の原因は資本主義にある。

われわれはこうした資本主義を打倒し未来の新しい社会に向けて全力で団結しなければならないなければならない。

学歴コンプレックスとの自分なりの向き合い方

世の中に学歴コンプレックスを持たない人間はいない。無意識的にあるいは意識的に世の中の人々は学歴に対してのコンプレックスを持っている。コンプレックスを持つことそれ自体の良し悪しを言うのはここでは避けたいと思うが、今回は学歴コンプレックスに対しての自分なりの向き合い方というものをここに残したいと思う。

私は学歴は資本主義の世の中で勝ち残っていくための道具であると考える。

大海を想像してみよう。

この大海は資本主義という名で呼ばれている。この資本主義という海は様々な人が航海する。あるものは非常に安全で大きな船の中でゆっくりと自分の時間を娯楽教養に当てながらこの海を渡るが、あるものは自分の足でクロールして泳いでいかなければならないものもいる。

 

ではどうしてこの差が生まれるのだろうか?

それはずばりどの職業に就くかというところに原因がある。

精神的な豊かさは置いておいて、物理的な豊かさだけに限定してこの問題を見ていくと職業が人生という航海の快適さを決めるのだ。

 そして職業は学歴と高い親和性がある。

 事実、大企業に勤めているものはそれ相応の学歴を有していることが往々にしてありうる。

もちろん学歴が高くなくても高い年収を受け取っている人もいる。

しかしその割合はかなり低いのだ。

 

では学歴のないものは一生海をクロールで泳いでいかなければならないのだろうか?私は違うと思う。たとえ学歴がなかったとしても資格免許等でカバーできる部分がたくさんあるからだ。さらにリスクを背負って起業し成功すれば学歴という足枷からは完全に解かれることになる。

 

私が何を言いたいか。

つまりはこうだ。

「学歴はよりよく生きるための道具になりうるが、そうした手段としての学歴が目的になってはいけないということ。そして学歴のない人間は学歴が全てではないという理屈で自分自身が成長できない言い訳をせず、学歴がないことを受け止め、その上でよりよく生きるために何をすべきかを考えるのが重要ではないか」ということだ。