『自主管理とは何か?』第二部 共同管理について
今回は「共同管理」を読み込んでいきます。
最初に本書の大きなテーマをもう一度確認しましょう。
大きなテーマは「自主管理とは何か?」「自主管理の定義は何か?」でした。
これを明らかにするために今回は「共同管理」を読んでいきます。
【共同管理の意味】
共同管理という用語はインターネットで検索しても出てきません。それだけ一般的でない用語なのでしょう。本書の説明では共同管理は一般的な意味とドイツにおける意味があり、この二つの意味合いに違いがあることを説いています。
「共同管理とは産業企業経営の中でより高度な水準に位置するものである。…経営陣によって取り決められる目標を危険にすることはないし問題にすることさえまるでないのである。…(中略)…これに対し、主にドイツにおけるような意味(Mitbestimmung 共同決定)での共同管理は、企業の全体的政策の構想および決定の段階への介入を要求する。」(p28)
共同管理の一般的な意味は、経営に労働者が参加するが、企業の目標を左右する力を持たないこと、ドイツ的な意味は企業の目的を決定する際これに参加することができるということです。
【共同管理と参加の違い】
次は前回扱った参加と共同管理の違いを見ていきましょう。
「共同管理の場合には、もはや単に利潤に《関心》を持つだけでなく、企業の組織そのものの中で言うべき自分の言葉をもつことが重要になってくる。」(p26)
このように前回取り上げた利潤への参加や制限された中での小さなイニシアチブとは違い、経営方針への提言や民主的な方法を使った、企業の目標や経営への参加がなされていることがわかります。
【共同管理と自主管理の違い】
ではこの共同管理と自主管理との違いは何でしょうか。
本文には次のような記述がありました。
「目的に到達するのにどのような手段を用いるべきかを決定する際、一定の共同管理が行われるのをわれわれは目にすることになるのである。たしかに、労働者集団には目的を決定する権限は与えられてはいない。が、それだからこそ共同管理であって自主管理ではないのである。」(p27)
「《自立的な作業班》の内部において、提出された目標に到達するための最良手段を労働者たちが自分たち自身で選択できるようにと労働者に一定の行動の自由が与えられる。」(p27)
〈共同管理と自主管理の相違点は何か。〉
それは手段と目的の違いにあるようです。
共同管理の場合、手段を労働者自身が選択するのに対し、自主管理は目的さえも労働者が選択することができるのです。
誤った解釈でありがちなのが共同管理は経営の決定ができるという解釈です。
共同管理は経営の決定はできません。
“経営の決定への参加が”できるのです。
本日はこれで終了します。次回は労働者統制について扱います。
『自主管理とは何か?』
この記事はイボン・ブールデとアラン・ギレルムの著書『自主管理とは何か?』を読み進めていき労働者自主管理についてまとめた記事になります。
まずこの本の簡単な説明から。
【本の説明】
『自主管理とは何か?』
作者 イボン・ブールデ、アラン・ギレルム
訳 海原峻 宇佐美玲里
出版社 五月社
出版年1979年
次に本書の内容に移りましょう。
何をもって自主管理とするのか。
これは識者によって見解が様々にわかれるようです。
そこで本書では自主管理と思われるいくつかのモデルを比較して具体から抽象へ、実際のモデルから自主管理の定義へ導く流れに移行しています。
【A 参加、共同管理、労働者統制、協同組合】
1 参加
「参加するというのは自主管理することではない。参加するというのは既に存在し、独自の構造と究極性を持っている活動に加わることを許されるというにすぎない。」p22
ここでの参加という言葉の意味は二つに分けて説明されています。
一つ目は労働への参加、
もう一つは利潤への参加です。
まずは労働参加からいきましょう!
〈労働への参加〉
一つ目の労働への参加では労働者と経営者の関係性をオーケストラに例えて説明しています。
オーケストラをまとめるのは指揮者(経営者)で各パートを実際に演奏するのは実行者(労働者)です」。
オーケストラの中で例えばフルートが自分の演奏するパートにいくらかのイニシアチブ(主導権)を得ることはできてもそれは譜面という定められたルールの中でしか主導的に演奏することはできません。
だから演奏者がいくらかのイニシアチブを持ちながら労働をするのと同様に特殊技能が必要な労働者ー例えば医者や技師、弁護士、システムエンジニア、開発者などーには一定のルールの中での主導権が発揮されます!
ちなみにこのような労働者は熟練労働者としてマルクスの書物には登場しますよ( ´_ゝ`)
ではこれに対して単能工はイニシアチブを発揮することはできるのでしょうか?
答えは“できない”です。
なぜならごく単純な労働なので機械と同じ反復作業ですから、そこに労働者の作為工夫を込めることができないからです。
単能工(一般労働者)は資本家の計画を実現するための手段にすぎないんですねぇ。
次に利潤への参加について見ていきましょう!
〈利潤への参加〉
利潤への参加とはどんな意味でしょうか。
利潤とはつまり報酬、企業の利益のことを言うと説明されています。
利潤への参加の意味は企業の利益の分配に参加できることを言うんですね。
しかし、ここで疑問に思う人もいるかもしれません。
「そもそも私たち労働者って利潤に参加してんじゃん。だって企業から賃金をもらってるでしょ。それは利潤への参加ではないの?」
答えは×です。
我々労働者は利潤への参加をしていません。
なぜなら利潤(企業の利益)は原材料費や法人税、減価償却費etc..そして君の考える労働賃金を差し引いて出た余剰分のことだからです。
これは初歩的なマクロ経済学でも習うことだと思います。
利潤への参加の意味を理解したところで内容にうつりましょう。
本書ではフランスでの事例を参考に利潤への参加について述べられています。
どうやらフランスでは企業の株を労働者に分配するということが行われたようです。
企業の株を労働者に分配するのだから企業の利益が出たときに労働者はその利潤を獲得することができます。つまり利潤の参加ですね。
では大きなテーマである自主管理とは何か?に照らしてみるとこの利潤の参加は果たして労働者自主管理として当てはまるのでしょうか?
本書では当てはまらないと結論しています。
「株は労働者を彼らの企業に《結びつける》役目を持っている。しかも二重の形でそうなっているのである。第一に、労働者の忠誠と忍耐に報いるという形で。第二に、自分の企業の経営がうまくゆき、利益を生み、そうして自分の行動の価値が増すことを願うような状況に労働者を置くという形で。こうして、《利潤参加》は労働者階級を資本主義体制に統合する役目を果たしている。」(p25)
「《利潤参加》方式は《自主管理に向けての一歩》であるどころか搾取と自己疎外の現状を巧妙な形でさらに悪化させることになる。」(p26)
【まとめ】
今回は参加は自主管理に当てはまるのか『自主管理とは何か?』を聖書に見ていきました。
本書の説明のポイントは二つ。
①参加には労働への参加と利潤への参加がある。
②しかし結局労働者が労働へ参加したり、株を持つだけでは、労働者の権利は蔑ろにされる。
次回は共同管理について見ていきます!