それん君のマル研ノート

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労働者自主管理の平等の思想に行き着くまでの歴史的な流れ『自主管理とは何か?』

こんにちは、社会の夜電です!

暑い日が続きますね。

 

今回は『自主管理とは何か』から労働者自主管理の平等思想は一体歴史的にどんな流れをたどってきたものなのかをプロタゴラスから見ていきます!

 

今回は哲学の話が出てくると思いますので、よろしくお願いします!

 

まずこのブログの構成からです!

 

【この記事の構成】

今回からは、世界の特に西洋の思想を平等思想と不平等思想に分けて解釈していきます。

具体的にはプロタゴラスの思想、人間主義キリスト教デカルトニーチェ、レーニンの思想などを扱います。

 なお、解釈の仕方によって簡単に二分するこのやり方がふさわしくない場合もあるかもしれませんが、ご容赦くださいませ。

 

 

今回はプロタゴラスについて扱います!

それでは早速プロタゴラスから見ていきましょう。

 

プロタゴラスは平等思想?】

 さてまずはプロタゴラスの思想について扱いますが、最初にプロタゴラスがどういう人物なのか見ていきましょう。

今回はWikipediaから参照しました。

 

プロタゴラスはどんな人か〉

プロタゴラス古代ギリシア語Πρωταγόρας、Protagoras、紀元前490年ころ - 紀元前420年ころ[1])は、古代ギリシア哲学者ソフィストの一人である。」

https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%97%E3%83%AD%E3%82%BF%E3%82%B4%E3%83%A9%E3%82%B9 検索日 2018年8月13日)

 

どうやらかなり昔の思想家であることがわかります。

 

次はこのプロタゴラスの思想を見ていきましょう。

 

プロタゴラス相対主義は平等思想?〉

《1 相対主義の面から》

さてまずはプロタゴラス相対主義の思想について見ていきましょう。

プロタゴラスは「人間は万物の尺度である」という言葉で知られ、相対主義を唱えた人として有名です。

 

まずはそこから見ていきます。

 

プロタゴラスは、ある人には風は温かく感じられ、別の人には冷たく感じられるので、風そのものは温かいのかそれとも冷たいのかという問いには答えがないと述べた[1]。このような見解は、「万物の尺度は人間である」という彼の有名な一節に凝縮されている。簡単に言えば判断基準は自分自身という人間なのである。万物の尺度を科学的で客観性をとる原理や観測ではなく、自分という人間の主観がものさしとなる感想や意見が万物の尺度の一つであり、絶対的判断基準はなくそれぞれの人間の思いとするものである。人間には絶対的な共通の認識はないとするものである。」

https://ja.m.wikipedia.org/wiki/相対主義  検索2018/8/13)

 

プロタゴラスの考え方は判断基準が自分自身に委ねられている相対主義の思想です。

各々の人間それぞれが主観的に考えるので絶対的な判断の基準がないのです。

どちらが優れていてどちらが劣っているということがないので、平等思想か不平等思想か、どちらかに二分するとなれば当然平等思想になるでしょう。

 

 

《2神様への疑問の面から》

さらにプロタゴラスは神様を否定するようなことも言いました。

 

 「プロタゴラスは『神々について』という書物の冒頭で、次のように述べたため、「不敬罪」で訴えられ、アテネから追放され、その著作は回収されて広場(アゴラ)で焼却された。  (引用)神々について私は、あるとも、ないとも、姿形がどのようであるかも、知ることができない。これらの各々を私が知るには障害が多いから。その不明瞭さや、人間の生が短いこと。<納富信留ソフィストとは誰か?』2015 ちくま学芸文庫 p.29>」

https://www.y-history.net/appendix/wh0102-135.html

 

前述されているようにプロタゴラスは神様が存在するかどうかわからないと言っています。

その意味で、これまで盲目的に「神は存在する」と信じてきた人たちとは違います。

プロタゴラスの神への疑い、疑問が人間性というものを、少なくともそれ以前の時代よりも重要視していることがわかります。

 

プロタゴラスの思想は平等思想?》

 

プロタゴラスのような哲学者が人間は万物の尺度であることに気づき、したがって人間の投影に過ぎない神々に疑いを抱く時、彼は同時に同時にすべての人間が、自己の内部に完全な人間性をもっていることを理解していた。また人類の運命が、すべての人間の掌中にあることも理解していた。祈りが終わり実践が始まる。」(『自主管理とは何か?』、p60)

 

 

プロタゴラスは神様に疑いを持ち、また全ての人は考える生き物だということを理解ていました。

プロタゴラスにとって人間の運命は神様に操られるものではなく「万物の尺度は人間である」のです。人間の自立性、神から独立した人間の自由の思想がこの中に含まれるのです。

よってプロタゴラスの思想は平等思想にかなり近いのではないかと考えられるようです。

 

今回はプロタゴラスについて扱いました。