それん君のマル研ノート

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『自主管理とは何か?』イボンブールデの考える自主管理とは

さて今回で取り上げている

『自主管理とは何か?』の第1章の部分が終了します。

 

深く読み込んでいくとかなりの時間がかかりました。

 

これからも読み進めたいと思います。

 

さて今回は本書の著者イボンブールデ

自主管理についてどんな見解を持っていたのか探っていきたいと思います。

 

もちろん本書の全体にその見解は散りばめられていますが今回は第一章のみ扱います。

 

第一章の最後でかれはこんなことを書いてます。

 

 

「経済を自主管理することは、資本主義経済を自主化することに還元されない。その基盤を変えることにあるのだ。私的資本主義、国家資本主義は、しばしば労働の自主管理と対立するテクノロジーを使用してきた。ために以下の問題が、変革のための自主管理計画の職分となる。

(a)機械設備の形態

(b)生産物の終局目的

…(中略)…自主管理された計画化とは、従来と違った形で計画化することではない。従来とは違ったものを計画化することなのだ。こうして判明するように真の経済的自治、計画の自主管理は、生活を変革するのに至るものである。」(本書p56より)

 

この文章だけ見ても何のことやらサッパリだと思います。

 

詳しく説明しましょう。

 

【第一、第二文】

「経済を自主管理することは、資本主義経済を自主化することに還元されない。その基盤を変えることにあるのだ。」

 

第一、第二文では、経済を自主管理するには

資本主義経済の基盤を変えなくてはならないと言っています。

では資本主義経済とはここでは何を指すのでしょうか。

それはソ連や中国を代表とする共産主義国

そしてアメリカやイギリスを中心とする資本主義、自由主義経済の国の両方を指しています。

ソ連、中国が資本主義経済として本書の中で扱われていることに疑問を感じる方もいらっしゃると思います。

 

しかし、世の中にはこれらの共産主義国を資本主義の体制だとして扱う人たちがいます。

彼らはソ連のような社会主義を国家資本主義や官僚制的資本主義国だと言います。

なぜなら国が全てを牛耳って労働者から収奪するというソ連型の社会主義は国が一つの会社になった形態と同じだからです。

 

資本家に代わり国が労働者を働かせて、賃金を与える。資本家の役目を果たすのは共産党の中央委員会。

 

全くもって同じ形態だと思いませんか?

 

 

第一、第二文ではソ連型のような社会主義を含めた資本主義の基盤を変えなくてはいけないと言っています。

 

第三文に移りましょう。

 

【第三文】

「私的資本主義、国家資本主義は、しばしば労働の自主管理と対立するテクノロジーを使用してきた。」

 

第三文には

 

「私的資本主義、国家資本主義は、しばしば労働の自主管理と対立するテクノロジーを使用してきた。」と述べられています。

 

私的資本主義とは普通の意味での資本主義です。

 

国家資本主義とは先ほど述べた通り

ソ連型のような社会主義です。

 

ここではそれら資本主義が労働の自主管理と対立する仕組みを使ってきたと述べられています。

 

ではその仕組みとはどういったものでしょうか?

それは本書に要素要素として記されていることです。

見ていきましょう。

 

 

〈労働の管理と対立する資本主義に含まれる要素〉

 

①「…自分たちだけが一般の利益を考え、管理することができるという《啓蒙された少数派》-王権神授説の世俗形態–…」(p53)

 

②「他社管理は、多くの人々が少し離れたところでは飢え死にしている時に多量の食糧を消滅させることを経済的に必要としている。」(同上)

 

③「都合のよい誤謬推理により指導的少数派(指導者、あるいは制限された《集団》指導サークル)は、強制の必要から支配の正当性を演繹しようとする。」(p54)

 

④「主たる目的としては、どの生産物が人間の共同体にもっとも有益か決めることでない。資本所有者の利益を最大限増大させ、集権化された国家の力を強化することにある。」(p56)

 

 

①〜④を総合するとソ連のような社会主義を含めた意味での「資本主義」の仕組みは、権威者やお金持ちのために動く仕組みであり、社会全体が豊かになることについては考えない仕組みのようです。

 

さらに付け加えると、この「資本主義」の仕組みは支配を都合のよい解釈で正当化して、自らの富を増大させることを目標にする仕組みのようですね。

これがイコール資本主義の仕組みになります。

 

第三文に述べられていることは、そうした資本主義の体制が自主管理とは全く異なることを主張しています。

 

現代社会を見てもわかる通りですね。

 

 

続いて第四文以降を読み進めましょう。

 

 

【第四文】

「(a)機械設備の形態

(b)生産物の終局目的」

 

まず(a)(b)それぞれの意味です。

 

(a)機械設備の形態とは一般的に解釈すると機械とか設備のシステムのことだと思いますが、この意味だと、社会を変革するための自主管理計画が解決すべき問題として意味が通らない気がします。

そこで私は労働者に対する機械設備の形態と解釈してみました。

こう考えると、労働者が安全に扱うことのできる機械や設備を備えることが自主管理の目標だと考えることができると思います。

 

ここについては理解するのが難しかったので他に意見がある方はコメントで教えてください。

 

 

次に(b)生産物の終局目的ですが、この意味は生産された物が資本家や権力者、指導的な少数派のために使われるという意味合いで間違いありません。

具体的に言い換えると、社会全体が豊かになるために生産物が用いられることがなく、資本家の利益を最大限に引き出すことを目的に用いられているということです。

 

(a)(b)をまとめると、自主管理を達成するために打破すべき問題は、(a)労働者の安全が確保されていない機械設備と、(b)指導的な少数派や権力者、資本家のために生産物が使われる仕組みを無くすという二点であるということです。

 

最後に(a)(b)以降を読んでいきましょう。

 

「…(中略)…自主管理された計画化とは、従来と違った形で計画化することではない。従来とは違ったものを計画化することなのだ。こうして判明するように真の経済的自治、計画の自主管理は、生活を変革するのに至るものである。」(本書p56より)

 

 

まず計画化の意味から見ていきましょう。

 

一般的に計画化は例えば一週間の宿題をどんな配分で行うか?とか、掃除当番で誰がどこの担当か割り振りするときに使うと思いますが、ここでは計画経済のことを言います。

 

計画経済とはソ連が中心となり行われたもので、労働者が何をどれだけ生産するかを国が決めて、そのノルマの分しか労働者は作らないという経済のしくみです。計画生産と言ってもいいかもしれませんね。

本文ではこの計画経済が計画化として言い換えられています。

 

それでは本題に戻りましょう。

 

 

「…(中略)…自主管理された計画化とは、従来と違った形で計画化することではない。従来とは違ったものを計画化することなのだ。こうして判明するように真の経済的自治、計画の自主管理は、生活を変革するのに至るものである。」(本書p56より)

 

 

ここでは自主管理された計画化が従来の体制とは違う計画化だと主張します。それもどういう形で計画化するかではなく何を計画化するかであり、また本当の経済的自治、計画の自主管理は私たちの生活を変えるとまで言っています。

 

では実際に自主管理された社会の中でイボンブールデは何を計画化することを想像したのでしょうか。

 

ここではいくつかその具体例を挙げてみます。

 

①「こうして自主管理支持者は計画化を認めているということがわかる。計画化といってもいわゆる有能な少数の専門家に役目(と利害で動く楽しみ)を委任するものではない。」(p55)

 

②「自主管理が、極めて聖なる経済、《計画化》と共存できるかを知ることが問題なのではない。自主管理がいかにして下から集権化され、支配ではなく制約を定めるもうひとつの違った形態を決定するかを理解することが問題なのである。こうした計画化は、《専門家たち》から経済的選択の特権を取りあげ、現在と未来をすべての人によって変えることができる何かにするのである。」(p55)

 

②で「自主管理がいかにして下から集権化され、支配ではなく制約を定めるもうひとつの違った形態を決定する…」とありますがこれが計画化の一要素になります。

 

「特権階級に経済の選択をまかせた今の日本社会と違い、私たち労働者という下の立場から、今の社会を支配ではなく、制約をすること」が計画化なのです。

なぜなら経済法則と経済政策との間には開きがあるからです。

 

「たしかに経済法則は存在する。しかし、その使用は、統治者により選択される政策から独立してはない。…法則に対する知識は、従うことにより指導する手段である。」(p55)

 

自然科学も数学も経済学も物理学もすべて現実の自然から生まれました。自然から人間が法則性を見つけて、それをまとめて現在私たちが教科書で目にする公式になったのです。

現在の経済法則は現実の人間の生産や消費という自然から生まれたものです。

自主管理された社会も同様です。

まずはその社会になってみないと経済法則云々の話は始まりません。

だから②「自主管理が、極めて聖なる経済、《計画化》と共存できるかを知ることが問題なのではない。自主管理がいかにして下から集権化され、支配ではなく制約を定めるもうひとつの違った形態を決定するかを理解することが問題なのである。こうした計画化は、《専門家たち》から経済的選択の特権を取りあげ、現在と未来をすべての人によって変えることができる何かにするのである。」とイボンブールデは記すのです。

 

 

 

 

以上今回はかなり長くなりましたが以上となりました。

 

 

 

2018年はかなり暑い夏となりましたが、熱中症に気をつけてくださいね。

ではでは!さようなら!