それん君のマル研ノート

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マルクス『経済学・哲学草稿』岩波2008 参考資料

マルクス『経済学・哲学草稿』岩波2008

 

第一草稿 疎外された労働

P84「…最後に資本家と地主との区別が、耕作農民とマニュファクチュアとの区別と同様に消滅して、全世界が裕さん者と無産の労働者という両階級へ分裂せざるを得ないということを、われわれは示してきたのである。」⇒IT技術の進化⇒労働者(ホワイトカラー

)の没落

 

p86「労働者は、彼が富をより多く生産すればするほど、彼の生産の力と範囲とがより増大すればするほど、それだけますます貧しくなる。労働者は商品をより多くつくればつくるほど、それだけますます彼はより安価な商品となる。事物世界のかつ増大にぴったり比例して、人間世界のかつ低下がひどくなる。労働がたんに商品だけを生産するのではない。労働は自分自身と労働者とを商品として生産する。しかもそれらを、労働が一般に商品を生産するのと同じ関係のなかで生産するのである。」

 

P87「さらにこの事実は、労働が生産する対象、つまり労働の生産物が、ひとつの疎遠な存在として、生産者から独立した力として、労働に対立するということを表現するものにほかならない。労働の生産物は、対象の中に固定化された、事物化された労働であり、労働の対象化である。国見民経済学的状態のなかでは、労働のこの実現が労働者の現実性剥奪として現われ、対象化が対象の喪失および対象への隷属として、〔対象の〕獲得が疎外として、外化として現れる。」

 

p89「したがって労働者は、これらの二重の側面に応じて彼の対象の奴隷となる。第一に、彼が労働の対象を、すなわち労働を〔対象から〕受けとるということにおいて、そして第二に、彼が生存手段を〔対象から〕受けとるということにおいて、対象の奴隷となる。それゆえ、第一に彼が労働者として、そして第二に肉体的主体として実存できるために、彼は、彼の対象の奴隷となるのである。」

 

p92「そのため労働は、ある欲求の満足ではなく、労働以外のところで諸欲求を満足させるための手段であるにすぎない。」

 

p92「労働の外在性」⇒「労働者の活動は、彼の自己活動ではないのである。労働者の活動は他人に属しており、それは労働者自身の喪失なのである。」

 

p93「(1)労働者にたいして力をもつ疎遠な対象としての労働の生産物にたいする労働者の関係。…(中略)…(2)労働の内部における生産行為にたいする労働の関係。」

第二草稿私有財産の関係

 

P109「したがって労賃は、他の一切の生産用具の維持、修繕、また資本一般の、利子を伴って再生産されるに必要な消耗、車輪を回転させるために使われる油などと、まったく同じ意味をもっている。だから労賃は、資本および資本家たちの必要経費に属しており、そしてこの必要〔やむをえずを要する〕ということが要求する範囲を超えてはならないのである。」

 

p109「生産は人間を、一つの商品、人間商品、商品という規定における人間として生産するばかりでなく、この規定に対応して、生産は人間を、精神的にも肉体的にも非人間化された存在として生産する。—労働者や資本家の不道徳、不具、奴隷主義〔Helotismus〕―それの生産物は自己意識をもった、また自己活動的な商品である。」

 

第三草稿 〔二〕〔私有財産共産主義

P127「最後に、共産主義止揚された私有財産の積極的表現であるが、さしあたりは普遍的な私有財産である。共産主義はこの関係をその普遍性においてとらえるので、共産主義は、(1)その最初の形態においては、私有財産の普遍化と完成とであるにすぎず、そのようなものとして共産主義は、二重の形態で姿を現わす。第一に、物的な所有の支配があまりに大きくこの共産主義の前にたちはだかっているので、そのためこの共産主義は、私有財産として万人に占有されないあらゆるものを否定しようとする。」

 

知を生み出す知、誰も見たことがない知を見出すための知 それが大学で学ぶ意味

なぜ知を生み出す知が必要なのか⇒人間が生きる意味を見出すため、どうしたら幸せに暮らすことができるのかを考えるため、どうしたら二度と悲しい悲劇が起こらないかを考えるため、その心を身に着けるため