それん君のマル研ノート

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社会主義への道は一つではない

ソ連社会主義国家とは言いにくい(1957年時点での見解)1956がスターリン批判の年→山川:「ソ連は国家資本主義の国」

社会主義にもさまざまな道がある。一つしか認めないのはマルクス主義ではない。

スターリニズムスターリン個人の問題ではない。ソ連の政治体制そのものの問題。

 

 

 

 

 

http://roudousyaundou.que.jp/sakaiyamakawasakisaka_006.htm

ソ連社会主義国家とは言いにくい(1957年時点での見解)1956がスターリン批判の年

「我々のあいだでは、問題は、ソ連社会主義社会から共産主義社会に移りつつあるかどうかではなくて、ソ連の現状は社会主義社会と名づけうるかどうかということであった。ソ連の現状は、いままで我々が社会主義社会という言葉によって理解していた社会体制からは、いちじるしい隔たりがある。ソ連の現在は、すくなくとも無条件に、説明なしでは、社会主義社会とは呼ばれないという点では、我々のあいだにほぼ意見は一致していたのであるが、しかし同志のある者は、これだけでは満足しなかった。スターリン時代になって、ソ連社会主義とはまったく違った方向に進んできた、それはもはや反省や自己批判や誤謬の清算といったようなことでは、本来の道-社会主義の道-に引きもどすことのできないほどの、本質的な変質をとげた、現在のソ連は、社会主義の体制とは本質的に異なった体制に変質してしまったものであって、そこから社会主義への発展はもはや不可能である、ソ連社会主義に発展するためには、もういちど民衆が立ち上り(そのばあい武装した反乱の形をとるかもしれない)、もういちど革命的な政治上の変革がなければならない-ある同志たちはこういう見解をもっていた。」

 

 

ソ連は国家資本主義の国

ソ連はきわめて異常な道ではあるが、このロシア的な道をつうじてでも、窮極は社会主義に発展する可能性があると考えた。ソ連の現在は社会主義社会でないまでも、もはや資本主義社会でないことは明らかである。では資本主義でもない社会主義でもない現在のソ連はいったい何なのか。我々は資本主義から社会主義への推移の間に、こういう異常な、いわば病的奇形的な社会体制が、例外的にせよ現われるということを、かつて予想していなかったから、こういう体制をいいあらわす適当な呼び名をさえも持っていなかった。それで私は、当時、我々の主催していた社会主義研究会の会報に書いた一文の中では、この官僚専制のもとに経済が計画化されている状態を国家資本主義と呼んだこともある(注)。私はこの一文のなかで、こんごソ連がこのような国家資本主義(それは社会主義の道からの重大な踏みはずしと誤りを意味するものであろうとも)から正常な社会主義の体制に発展するならば、ソ連の歩んだ道も資本主義から社会主義への一つの道-ロシア的な一つの道-なのである、」

 

 

「またこれと対照的なイギリスのばあい-当時イギリスでは、労働党政府によって国有化政策が着々と進められていて、これこそが社会主義実現の正しい道であるという見解が強まっていた-労働党の現在の政策によってイギリスが社会主義国家に変革されるとしたならば(それは疑問ではあるが)、これもまた資本主義から社会主義への一つの道-イギリス的な一つの道-として認めなければならない、

 

社会主義にもさまざまな道がある。

一つの道しか認めないのはマルクス主義ではない。

「そしてロシアでもイギリスでもないその他の国々は、歴史的に与えられた条件によって、それぞれの異なった社会主義への道を発見しなければならない、そしてマルクシズムの社会的発展の法則は、ソ連のばあいだけに働いている法則なのではなくて、イギリスのばあいにもひとしく働いている法則でなければならない、それはマルクシズムの政党が国家権力をにぎった時にだけある法則ではなくて、マルクシズムの政党が存在さえもしていないところにおいても、同じように働いている法則なのだ、という意味のことを書いたのであるが…」

 

 

 

社会主義への道は一つではない。

「これから学ばないことは、我々の怠慢だと思う。そしてソ連の歩んだ道は、いいにせよ悪いにせよ、社会主義への一つの道だったことさえも認めようとするのであるが、しかし、それは一つの道でしかないものである。そして一つの道でしかないものが、もし唯一の道であることを要求するならば、その瞬間から、それは貴重な教訓をふくむ実験ではなくなって、社会主義への道を妨げる障害物となり、国際社会主義運動にとってマイナスの要素ともなるのである。」

 

 

スターリニズムスターリン個人の問題ではない。ソ連の政治体制そのものの問題。

ソ連共産党の第二〇回大会は、レーニン死後のソ連スターリンの個人独裁が成立していた事実を大胆にみとめ、公然とこの誤謬の清算を宣言したのであるが、これは言うまでもなく、ソ連社会主義体制に、スターリンの個人独裁というよけいなものがくっついていたということではなくて、ソ連体制そのものが社会主義的民主主義の体制ではなくて、個人的独裁者と特権階級による官僚支配の体制に変質していた事実を認めたことを意味している。」