私の読書の系譜
ナショナリズム→マルクス主義→ポストモダン→ニヒリズム→ニーチェ
【幼少期〜高校生】
ナショナリズムを信奉していた。国が絶対なものだと信じて。しかしアーレントの全体主義の起源を読んでからナショナリズムは幻想、宗教だと思うようになった。
【高校〜大学】
高校3年時からマルクス主義に興味を持つようになった。この世の問題は生産手段を資本家が私有している社会構造にあると。しかしマルクス主義は西ヨーロッパでは失敗し、東ヨーロッパでは恐ろしいスターリニズムが生まれた。結局社会の一切を一つの発展モデルとして考える唯物論的弁証法を何かオカルトな感じがしてしまって私には馴染めなかった。何か単に社会を解釈しているにすぎない、そこに真理は無いものだと思えてならなかった。
【大学3〜4年】
次にポストモダンに出会った。あるラジオがきっかけだ。統一性を求める宗教や思想は結局社会に不幸をもたらした。20世紀の歴史は近代思想の暗黒時代だったと思う。しかしポストモダンは何の解決も私にもたらしてくれない。
結局どこに向かうべきかわからない。答えがない。そこでニヒリズムに陥った。
【大学四年】
ニーチェの入門書を読んでいる。
まだよくわかっていない。
ただむさぼるように読んでいる。
こんなに読書が楽しかったのは久しぶりだと思う。
それだけ私は最近知識に希望が持てなかったのだと思う。ニーチェが示すようにデカダンな状態に陥っていたのかもしれない。
ドストエフスキーのカラマーゾフもしっかり読まないといけない。
→「問いに答えるものはもはや誰もいない、この問いの答えは存在しない。世界と歴史の時間にはどんな「意味」も存在しないと。そして、それにもかかわらず君は生きねばならず、したがって「なんのために」ではなく「いかに」生きるかを自分自身で選ばなくてはならない、と。」p184『ニーチェ入門』竹田青嗣,ちくま新書,1994
世界に真理や生きる目的などない。そのような「意味」は存在しない。自分で自分の生を選んでいく。
【社会人一年目】
マルクス主義をもう一度考えている。私が大学3年当時のマルクス主義に対する絶望は早すぎたのかもしれない。当時感じたマルクス主義に対するオワコン感は、スターリニズムに対しては当てはまるかもしれない。